息子が産まれた。
かわいいかわいい息子である。
しかし,自分が父親になったという感覚は,いまいちわかない。
それは,妻と息子がまだ病院におり,自宅に二人を迎えていないからなのかもしれない。
父親の自覚が持てない。これはとても無責任な事なんじゃないだろうか。
ところで,父親ってなんだ。そんなことを考えながら,一人夜を過ごす。
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父親とは。
息子に何かを教えてやるのが,父親なのだろうか。
母親と息子が生活できるように,外で稼いでくるのが父親なのだろうか。
母親と共に,家庭のことをやりながら,子育てに参加していくのが父親なのだろうか。
私の父は,とてつもなく優しい人だ。
もちろん,叱られたこともある。怒鳴られてげんこつをもらったこともある。特に人を小バカにしたようなことを言ったり,兄妹げんかをしたときなど。父は猛烈な勢いで叱った。
でも,父は,
「お前がどんな犯罪を犯しても,世界中の誰もがお前の敵になったとしても,わしだけはどんなことがあってもお前の味方だ。」
と言ってくれたことがある。
父は,家事は全くしない。
土日も,どちらかと言えば仕事を優先し,職場関係の人とゴルフに行ったり釣りに行ったり。そうじゃないときは,ほとんど寝て過ごし,映画を見たりゲームをしたりして自室で過ごす。
家族サービスという概念はあまりなかったように感じる。
それでも,私が何かやりたいことを父に伝えると,それができるようにしてくれた。
私が水泳をやりたいと言えば,スイミングスクールを探し連れて行ってくれた。
とてもうれしいのは,私は当時,テレビで時々やっていたムツゴロウ王国にあこがれていて,家族も当然,それを知っていて,
父はそのとき,私をムツゴロウ王国に連れて行ってくれた。
そういうサプライズ的な事も好きな人だ。
私の兄妹も,高校を中退して,役者になりたいと言えば,東京にでることを許し,ダンスの勉強をするために海外に行きたいと言えば,快く送り出すような,そういう人だ。
おかげで私たち兄妹は,無限の可能性を感じることができた。
「私は,なにに挑戦しても許される。」
これが兄妹の共通認識かどうかはともかく(実際,弟は父親のことが苦手だ),私の父はすくなくとも,可能性を感じられるように私たちを育ててくれた。
いや,これは「育ててくれた」というのは語弊があるのかもしれない。実際に育ててくれたのは母親である。
父は,私たちが「自分で自分を育てられるように」,その環境を整えてくれた。
父親とは何だろう。父の自覚とは何だろう。
たぶん,いろんな父親がいて,それぞれ大切にしていることは違うだろう。
自分の子どもに,プロの音楽家になって欲しい,医者になって欲しい,公務員になって欲しい。
そうやって教育するのも,父親の一つの姿かもしれない。
私は,家事も下手だし,そんなに立派なことも息子に対して言えるような人間ではない。
それでも,最低限,父親として,私の父がそうであったように,
息子が何にでも挑戦できるように。無限に可能性を感じられるように。
実際には,無理なところもあるんだけど。
それでも,できるだけ息子が環境の要因で諦めないような,そういう環境を作れる父親になりたいと思う。
私もまた,世界中の誰もが息子の敵となったとしても,息子の味方である父親だ。
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