大学での勉強の実際

大学教育

大学では,高校までの勉強とかなり内容が異なってくる。
ここでは,大学と高校での勉強の違いについて説明する。

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自分で授業を選択する

まず,高校までとは違い,大学では自分が受けたい授業を自分で選択し(履修登録し),その科目を受講して単位を収める。
自分が受けたい授業と書いたが,大学を卒業するために必修となる科目もある。
このように,自分で選択して授業を受けるため,うまく調整すれば,ある曜日は休みにできたり,授業と授業の間に空き時間を作ることも可能だ。
大学は高校と違い,いつ登校しても下校しても良いので,自分のスケジュールに合わせて,時間割を組むことができる。

大学では答えのない問題を扱う

また,高校までと大きく違う点として,大学では答えのない問題を扱うことも多い。
例えば,レポート課題などで,「現在の日本での高齢化の現状を記述し,その問題への対策としてあなたが有効であると思う方法を述べなさい。」という設題が出され,単位認定となったりする。
この問題は,「これ」という正解はない。もし正解があるなら,日本の高齢化問題は既に解決しているはずだ。

では,どのように採点されるのかというと,「現状」の記述ではきちんと本や資料等に基づいて書かれているのかどうか。
そして,調べられた事実から,論理的に自分の主張を展開できているかどうかが評価される。
このように大学では、往々にして事実に基づいて自分の意見を主張することが求められる

大学の授業では,ごく一部のことしか学べない

そして,筆者が思う,大学の学習の根幹となる部分は,自分で学ぶことが求められるという点だ。
大学の授業の中で,例えば「経済学」という授業を受講したとする。
では,その経済学の授業をちゃんと聴いていれば,経済学のことを完璧に学べるのかと言えば,そうではない。
「経済学」なんて範囲が広すぎて,半年や一年でマスターするなんてことは,まず無理だろう。
そして,大学の教員はそれぞれ専門が異なっている。日本の経済,国際経済,中小企業を中心とした経済,大企業を中心とした経済,経済を国の視点から見るか,民間の視点から見るか。
いろんなアプローチの方法があり,大学の教員(=研究者)が,それぞれの専門分野からの視点で,その科目を解説するだろう。

つまり,「経済学」の授業を受講しても,その中で取り扱われるのは経済学のごく一部というわけだ。
そのような環境の中で,しっかりと経済学を学ぼうと思ったら,どのようにしなければいけないのか。
それは,自分で問を立てる,ということだ。

自分で問を立てる

自分で問を立てる,とはどのようなことだろうか。
多くの大学では,「卒業論文」が卒業するときに必要になってくる。
これは,自分で論文のテーマを決め,それについて実験や調査をし,そのテーマに対して言えることを書いていく。
その小さな枠組みとして,それぞれの授業などで課される「レポート」がある。

先に述べたレポート課題,「現在の日本での高齢化の現状を記述し,その問題への対策としてあなたが有効であると思う方法を述べなさい。」というレポートでは,
高齢化の現状をすべて書いて,それぞれの問題への対策をすべて書くことはできない。
そのため,必然的にレポートのテーマを絞って,その絞られた問題に対して,自分なりの解決策を書くということになる。

この卒業論文やレポートを書くためには,普段の授業で教員が話していることに,疑問を持ちながら聴く必要がある。
「〇〇先生は,こう言っているけど,本当にそうなのか。」
「本にはこう書いてあるけど,別の考え方もあるんじゃないか。」

このように,自分で問を立てて,自分で学んでいかなければ,大学で授業を聴く意味はほとんどない
なぜなら,授業では,その分野のごく一部しか学ぶことはできないからだ。
そのため,大学では卒業論文やレポートといった課題が出されて,自分で問を立て,自分で調べて,自分なりの主張を書くことが求められる。

もし,普段の授業で問を立てたりせず,ただなんとなく授業を聴くだけで大学4年間を過ごしてしまうと,
大学に行ったのに,何も学ばなかった。という話になってしまう。
自分たちの周りに,「大学行っても何も勉強しなかった。」という人はいないだろうか。
そういう人は,大学で自分で問を立てる,ということをしてこなかった人か,
あるいは授業に関係なく自分で学んで,「大学の先生には何も教えてもらわなかった。」と感じているかのどちらかだろう。

単位取得の実際

本来なら,先に述べたように,それぞれの授業で自分で問を立て,自分で学習しないと,その授業を学んだ,ということにはならない。
でも,現実としては,授業に出席さえすれば単位をもらえるという実態もある。

文科省からの圧力が強化され,最近の大学では,出席率が重視されるようになった。
著者らが大学生の頃は,履修して,試験やレポートさえ合格すれば,その科目の単位はもらえたが,
いまは3分の1以上の欠席があれば,自動的に単位を落とされる仕組みが多いようだ。

逆に,授業にさえ出席すれば,情状酌量で単位認定をしている教員も少なくないだろう。
出席の認定が厳しくなった分,試験やレポートの出来は,以前より重視されなくなっているように感じる。

「単位認定」というのは,その科目について,一定の力があることを認定するものであり,出席したかどうかは関係ないはずだ。
授業に出席しなくても,自分でしっかり本を読んだり,調べたりすることで,その力を身に付けることはできる。

そうやって,授業の間,席に座っているだけで,特に自分で問を立てることをせず大学生活をこなし
卒業してしまう学生も多いだろう。
それだと,大学で何も学ばずに,卒業という形になってしまう。

大学は一度社会を経験して入った方が多くのことを学べる

筆者は,高校卒業してすぐに大学に進学するよりも,一度社会人を経験して大学に進学することのほうがメリットが大きいと考える。

社会人になると,高校までと違い,解決できない問題が多い。
そして,様々なことに対して,自分で問を立てないといけないことが多いだろう。

そのような普段の生活で立てられた問を解決することを目的として,大学に入れば,大学生活はかなり有意義になるはずだ。
著者は,大学での学びを有意義にすることは,どれだけ深い問を立てられるかにかかっていると考えているが,
社会人を経験している方は,もともと複数の深い問を持ち,さらに授業からも深い問を導くことができるだろう。
また,社会人の方は明確な目的を持ってその大学に行くので,授業意欲も高いと考える。

まとめ

大学は高校とは違い,与えられた課題をこなせばいいのではなく,自ら問いを立てなければ,ほとんど学ぶことはできない。
まあ,大学は学ばなくても卒業できるんだけどね。(そうなってしまっている仕組みもどうかと思うが。)
だから,社会人を経験して大学に入った方が,多くのことを身に付けることができると考える。
もちろん,高校を卒業して,しっかり目的意識を持って大学に進学すれば,自ら問いを立てることもできると思うけどね。

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