大学の強みを考える

大学教育

大学業界は,2009年前後に,大学希望者総数と全大学の入学定員総数が同じ人数となる大学全入時代を迎えた。
そのため,各大学は生き残りをかけて,様々な対策を取っている。

しかしそれが上手くいっているのかと言えば,実際問題あまり上手くいっていないというのが現状のようだ。そこでここでは,大学がこの大学全入時代に,大学側はどのような対策を取り得るのか,筆者なりの考えを述べてみたいと思う。

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大学が置かれている現状

ところで,日本全国に大学がどれくらいあるかご存知だろうか?

旺文社教育情報センターによれば,2018年度の大学の総数は768大学。
そのうちわけは,

  • 国立大学:82大学
  • 公立大学:90大学
  • 私立大学:589大学
  • 大学校:7大学校

となっている。

実は,この大学数は,2012年の783大学をピークとして,徐々に減少傾向にある。この減少の原因は,大学の統合や廃止によるものだが,多くの場合この統合や廃止には,入学する学生数が足りない「定員割れ」という問題によって引き起こされる。

日本の18歳人口は,2018年ごろから減り始めるといわれ(いわゆる2018年問題),全体の4割前後の私立大学が定員割れを起こしている。
ただ,人口が減っているから大学入学希望者数も減っているのかというとそうではなく,実際の大学進学志願者数をみてみると,平成15年以降,比較的安定しており,平成28年まで60万人前後を推移している。

一方で大学数の方も増えており,定員割れを起こしている私立大学が増えているのも現状である。やはり大学の経営は現在難しい局面に立たされているということは事実であろう。
実際,先に述べた大学の統合・廃止も起こっており,私立大学の公立化も進んでいる。

私立大学の公立化

大学は,地域振興に大きく関わっている。
その地域に大学があることで,地域に大学生が集まってくる。そのため,その地域の経済発展に大学は貢献していることになる。

このような状況の中で,いままであった大学が閉校になったりしたら,その地域は困ったことになってしまうのだ。
そのため,経営が厳しくなった,あるいは厳しくなる可能性がある大学は,各自治体の管轄となって公立化し,その地域へのダメージを抑えようという動きが起こる。
特に,地方私立大学は公立化が起こっており,今後ますます公立化は進んでいくものと思われる。(http://times.sanpou-s.net/special/vol24_1/)

現在の大学の対応策

このような現状の中,各大学は生き残りをかけて,様々な改革を行っている。
特に地方の私立大学は,大きな岐路に立たされている。

現在,大学で行われているスタンダードな対応策を列挙してみると,

  • 奨学金などの優遇措置
  • 資格取得人数のアピール
  • 入試区分の増設(様々な入試方法を用意する)
  • オープン・キャンパス
  • 就職率のアピール
  • 地域・社会貢献

などなど,「大学の職員・教員の皆様,おつかれさまです。」と言いたくなるような,大変な努力がなされている。

しかし,これらの対策は,「入学者数を増やす」という意味では効果があるかもしれないが,実際に大学の価値を高めているか,というと疑問が残る。

例えば,資格取得率を向上させて,アピールできる対象というのは,「資格は取得したいが,その自信がない者」である。
多くの資格取得はいくつかの経路があり,コスト面で考えれば短大や専門学校で取得した方が安価で済む。もし,資格取得の自信があれば,資格によっては通信制の専門学校などで資格取得をした方が低コストで取得できるだろう。

就職率も同じような側面があり,「大学を卒業しなくても就職する自信がある者」に対しては,「就職率〇〇%」という宣伝の仕方は,どれだけの効果があるのか疑問が残る。

このような対策は,在学生は確保できたとしても,大学の価値を低める結果になりかねない。

奨学制度も問題があり,学費免除などの設定基準を間違えば,「定員が充足しているのに赤字経営」なんてことになりかねない。
(実際に,そういう状況にある大学もあると聴く)

つまり,「入学者数を増やす」,「定員を充足させる」ための対策が,ともすれば「大学の質を下げる」ことになりかねないのである。
このような対策は,長期的にみれば,大学を廃校へと追い込むことになると筆者は考える。

ディプロマ・ポリシーの改革と徹底

大学のディプロマ・ポリシー(学位授与の方針)という言葉を聞いたことがあるだろうか。
その名の通り,学生が卒業するときに最低限必要とする能力を示した学位授与方針のことである。

現在の日本の大学は,「大卒」ということに価値が置かれており,各大学による違いは,あまり重要視されていないように筆者は感じる。
要するに,「〇〇大学の△△学部を卒業したのなら,最低限これだけの能力はある。」という保証がないのではないか。
例えば,「東大卒」,「京大卒」などのように,有名な大学の卒業の肩書も一般社会では「卒業」ではなく,「入学できた」ことの方に価値を置かれているように感じる。

そして,この「最低限の能力」の保障は,「大卒」ではなく,「資格取得」に取って代わられているように考えられる。

それでは,大学を卒業する価値は,どれほどのものなのだろうか。

この現状に一線を画す存在が,国際教養大学であろう。
留学を必修とし,授業も英語で行われる。
そして,インパクトがあるのは「留年率50%」。
就職率はほぼ100%であるという。
多くのメディアに取り上げられ,話題になったため,入試の偏差値も高くなってしまっているが,
企業が注目しているのは,学生が卒業時点で獲得しているであろう語学力であろう。
つまり,「国際教養大学を卒業したのなら,最低限これだけの語学力はある。」ということだ。

この事例では,「留年率50%」も,質保証のアピールになっている。つまり,「卒業することがそれだけ難しい大学」⇒「大学を卒業できたものは十分な力を持っている」という推測が成り立つわけだ。
様々な国家試験でも,「合格率が低い」ということは,それだけ価値がある資格と認識される傾向にある。
しかし,筆者は決して留年者を増やせと言いたいわけではない。
ただ,現在の大学は,「講義に出れば単位がもらえる」という授業も多く,卒業生の質が保障されていない現状があると感じられる。講義に出席するだけでは,何の意味もない。そこで学び,自分の力とすることが重要であるのに,その部分の保証はどれだけなされているのだろうか。

現在,多くの大学でディプロマ・ポリシーの改革は行われている。
これを各学科ごとに行い,そして厳しい基準で評価することが,大学卒業の価値を高めることにつながるのではないかと考える。

「〇〇大学の△△学科を卒業したのなら,最低限これだけの能力はある。」
「〇〇大学の◇◇の授業の単位を修得しているのなら,最低限これだけの能力はある。」
と社会が認知できるように,これらの基準を明確に外部にも示す必要がある。

地方私立大学の場合であれば,まずはその地域にこの「大学のディプロマ・ポリシー」を浸透させる必要がある。そしてそれを少しずつ広い地域に広めていくことによってはじめて,「〇〇大学の△△学科を卒業したのなら,最低限これだけの能力はある。」と認識してもらえるようになるだろう。

当然,このような厳しい基準を設けてしまうと,一時的に入学者が減少してしまう可能性もある。
しかし,実際に(入学生ではなく!)卒業生の質を高めることができるのであれば,就職率も向上し,より大学に入る目的も明確になるのではないかと考える。

「大学の卒業生の能力の質を保障するなんて,教育機関なんだから当たり前じゃん。」と思われる方もいるかもしれない。
その「当然のこと」が,実はできていないのである。
各大学は,「〇〇大学に入学したんだ。すごいね!」ではなく,「〇〇大学を卒業できたんだ。すごいね!」と言われる大学を目指す必要があると筆者は考える。

社会人が大学に行ける環境づくり

もう一つ,筆者が大学教育に提案したいのが,「社会人も大学で学べる環境づくり」である。

大学なんていく必要あるのか?にも書いたが,大学は高校を卒業した人ももちろん多くのことを学ぶ機会にはなるが,社会人はより明確な目的を持って入学する傾向があるので,そういった学生は,より多くのことを学びとる可能性が高いと考えている。
実際,筆者は社会人となって大学院に進学したが,そこには他にも多くの社会人がおり,議論する際はそれぞれの職域の専門性をそれぞれが持っており,非常に有意義な時間を過ごすことができた。

大学は,「生涯に一度しか行ってはならない」なんて決まりはない。
「大学でもっと勉強しておけばよかった。」と社会に出てから思う人も多いはずである。

なら,もう一度大学に入って勉強すれば良いのである。

例えば,人生のうち3回大学に行く生涯モデルが作られれば,現在直面している大学経営の危機は,解消する可能性が高いと考えられる。

これは,高卒からそのまま大学に入学して学ぶ学生にとっても,大きなメリットがあると考えられる。
社会人から大学に入ってきた同級生は,高校卒業してすぐに入ってきた学生にとっては,社会人経験のある人生の先輩である。そのような学生と対等に議論し合うことにより,学べることは非常に多い。また,社会人の学生の学習態度にも大きな影響を受けることが期待できる。
もちろん,多くの人にとって,人生に3回も大学に通う,経済的余裕はないだろう。
しかしそのあたりは,奨学制度等を設計したり,企業等と提携することによって,クリアできるかもしれない。
ある大手企業と連携して,社員教育プログラムとして社会人を大学に入れることも可能かもしれない。
(大手企業に大学の教育内容をアピールすることにつながるかも?)
いくつかの大学側の工夫で,社会人が入りやすい環境を作ることは可能と考える。

まとめ

現在,特に地方の私立大学では「地域貢献」というワードが多く掲げられている。
この地域貢献には,研究活動に重きを置いているように考えられるが,
大学の教育という機能を有効に用いて,地域貢献をすることが必要であろうと感じる。

そして,その地域貢献は,「一般の人に向けた公開講座」という簡単な知識を提供する,一過性ものではなく,より体系的に,しっかり学べるサービスを提供することで,大学の価値を高めていくことにつながるだろう。

「学生を育てる」
このごくごく当然の大学の責務について,もっとしっかりと機能する大学が求められるのではないかと筆者は考えている。

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