母は強し

子育て

ある日,私が家に帰ると,妻が辛そうに,ソファーに横になっていた。

予定日の5日前だ。

 

「大丈夫?つらい?」

「うーん,そうでもないんだけど。10分おきくらいに痛みが来るんだよね。」

「え?それ,陣痛じゃないの?」

「そうなのかなあ。でも,陣痛ってもっと痛いんじゃない?」

「いや,オレはわからんけど。とりあえず,病院に電話してみようか。」

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ということで,夜11時過ぎくらいに病院に電話して,一応検査をしてもらった。

結局,まだ本陣痛ではない,ということで,家に帰された。

 

次の日,妻の父が,孫の誕生を見たいということで,うちにやって来た。

義父を迎えに行って,家に帰ると,妻がまた辛そうに,ソファーに横になっている。

 

「つらそうだね?」

「うん,昨日より痛みは強いかな。間隔も5分おきくらいだし。」

すると義父が言った。

「え?それ,陣痛じゃないの?」

「うーん,たぶん違うと思う。昨日も病院行ったけど,帰されたし。」

「いや,念のため病院に行こう。」

 

病院に行くと,

「ああ,ちょっと破水してますねえ。今日は,このまま入院しましょう。」

ということになった。

妻は,自分が気が付かないうちに破水していたこと,そしてこの痛みはやっぱり陣痛であることに驚いていた。

「とりあえず,産まれるのは明日になると思うから。」

そう言われて,義父はいったん家に帰り,私は泊まることにした。

 

二人泊まれる部屋に通され,私は痛みが訪れるたびに,妻の背中を触った。

陣痛の痛みがどんどん増して、その時間を一緒に過ごすことが私の義務のように思えた。

この時間は,私は本を読んで過ごすこともできるし,スマホのゲームをして過ごすこともできる。眠ってしまえば,時間はあっという間に経つだろう。

しかし私は,妻の初めての出産に,蚊帳の外にはいたくなかった。

本人は,「思ったほど痛くない。」とは言っているが,しかし強い痛みであることは間違いないのだ。「耐えられる」とは言ってもそれなりの痛みが,何度も何度も襲ってくるのは,かなりしんどいだろう。

ここ2日ほど、妻が一人で,定期的に襲ってくるこの痛みに耐えていたのかと思うと、本当に申し訳ない気持ちになった。

 

そうやって一晩を過ごし,妻は分娩室に呼ばれ,私は別室で待つように言われた。

この時間は本当につらかった。妻がいま,どれくらい辛いのか。いまどういう状況なのか。全くわからない。

エアコンの音だけが響く部屋で待つ。落ち着くことができず,何度も何度も廊下に出た。時計も何度も見たが,2分~3分ずつくらいしか進まず,その時間は永遠のように感じられた。

 

やがて分娩室に呼ばれ,いろいろと説明を受けた。

子宮口がいま,どれくらい開いています。ちょっとむくみとかもあって,開きにくいところもあります。陣痛を促進する薬を点滴します。などなど。

その説明の間も妻には陣痛が襲い,そのたびにおしりから腰を押したりした。

 

妻は,陣痛の際に声を出さなかった。実際には,出なかった,という方が正確かもしれない。助産師や医師には,「我慢強いなあ」と言われていた。

後から聴けば,「声は出なくなったりするけど,耐えられないほどじゃないんだよ。」と言う。お前のリミット,どんだけだよ,っていう話だ。

その痛みを何度も何度も,おそらくほぼ2日に渡って,妻は乗り越えてきた。実際,次の陣痛,次の陣痛を何度も何度もやり過ごすことに,私も妻も助産師たちも集中しているような感じだった。

 

朝になり,義父も病院に着いた。

それでもなかなか分娩とならない。妻はひたすら,5分おきくらいに来る陣痛の波を乗り越えている。

陣痛を促進する薬がさらに投与された。そして無限に続くように感じられる陣痛の波をひとつひとつ乗り越えながら,時間は過ぎていった。

 

分娩が始まったのは,午後を回ってからだった。

私と義父は一度別室で待たされた。

スタッフはみな分娩室にいて,私たちに経過を報告してくれる人はだれ一人いない。

私も義父も落ち着くことができず,とりあえず何かいろいろと話はしたが,その話はいまとなっては,ほとんど頭に残っていない。

 

1時間ほどしてやっと助産師がやってきて,陣痛が長くて押し出す力が弱くなってしまっていること。そのため,吸引分娩となり,立ち会うことができないことなどが説明された。

まあ,それは仕方がない。妻と子どもが一番安全な方法でお願いするしかない。

 

そこから,また1時間経った。分娩室から,新生児の声が聞こえた。

ドラマとかでよく見る,赤ちゃんの声だ。ああ,本当にそうなんだ,と思った。

分娩室に通される。疲労困憊した妻の姿があった。

「よくやったね。よく頑張ったね。赤ちゃん元気だよ。」と声をかけた。

妻は力なく笑った。

 

すぐに助産師さんが,私と妻に赤ちゃんを見せてくれた。

「ほら,赤ちゃんも元気よ。」

そうすると,妻は,

「ああ,ありがとうございます。」と言った後,周りの医師や助産師に,

「みなさん,おつかれさまでした。」と言った。

助産師や医師たち,みんなが吹き出し,「いや,一番おつかれさまなのは,お母さんでしょ。」と,だれかが突っ込んだ。

「そうですねえ,朝も昼も食べてないから,おなかが減りました。」と妻が言うと,さらに笑いが起こっていた。

 

その後,病室に移動し,妻はもりもり食べた。体調は良好。子どもも元気だった。

破水が起こった時間から計算すると,22時間経過して,やっと産まれたということになる。初産婦だったというのもあるが,想像を絶する様な大変さだっただろう。

 

妊娠期間の約10か月,いろいろあって。

そして,最後にこんな思いをして出産をする。

私たちはまだ経験していないけど,これからだってきっといろいろ大変だろう。

 

「親になるって,すげー」

純粋にそう思っている。

なんてことない,普通に過ごしている世の中のお父さんお母さんは,みんなこういう経験をしているのだ。

親になるってすげーことだ。尊敬に値する。

 

特に妻を目の前にして,母は本当に強しと思った。

しかも,母親になるのは,特別な選ばれた人ではない。世のお母さんたちはみんな,妊娠,出産,子育てを経験しているわけだ。

当たり前のことと思うかもしれないけど,これは本当にすごいことだ。すごいことをやっている。

もう,目の前の妻に頭が上がらない。母は強し。

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