傍観者効果

趣味

実は,大学生を相手にして,ワークショップを行ったりすることがあるんだが,小学生でも知っている内容で,
「〇〇を知っている人!」
と手を挙げても,なかなか手を挙げてくれない。

あ,これも一種の傍観者効果だなあ,なんて思いながらワークショップをやったりする。

では,なんでこういうシチュエーションで,手を挙げることをためらう人が多いのだろうか。
今回は,それについて考えてみる。

スポンサーリンク

キティ・ジェノヴィーズ殺人事件

1964年のある夜,ニューヨークでキティ・ジェノヴィーズという若い女性が男に刺された。

「ナイフで刺された!助けて!助けて!」
という彼女の悲鳴で,近所の家々に明かりが点き,犯人は逃走した。

後の調査で,このとき38人が事件を目撃したが,誰も救おうとしなかった。
それどころか,警察にも通報しなかった。

犯人は再び現場に戻り,階段を這っているキティを刺殺してしまった。

この事件は,当時,とてもセンセーショナルな事件として扱われた。
実に38人もの目撃者がいて,おそらくその時点ではキティは生きていた。
38人の一人でも通報していれば,彼女は助かっただろう。
しかし,実際には誰も通報しなかったため,キティは殺害されてしまったのだ。

なぜ,目撃者達は助けなかったのだろうか。
この事件は「都会の人は冷淡である」とアメリカで大々的に報道された。

Latané & Darleyの実験

—さて,こんな事件があったこともあって,Latané & Darley (1969)は,これを再現する実験をやってみた。彼らは,学生を個室に入れて,マイクとインターフォンを用いてグループ討議を行わせた。

—グループは2名,3名,6名の条件があり,1人が途中で発作の演技をする。
—この時,学生が個室を出て,実験者にグループ討議の相手が発作を起こしたことを報告するかを確認した。

なんだろう,テレビ番組のモニタリングみたいな実験だ。

—その結果,2名のグループでは,最終的に全員が行動を起こした(時間がかかった者もいた)が,—6名のグループでは38%の人が行動を起こさなかった。

このことから,他に見ている人が多いほど助けなくなる可能性が高くなることが見出された。

傍観者効果

—自分以外の他者がいる状況で,援助行動を起こしにくくなることを傍観者効果という。

—キティの事件で,彼女を誰も助けなかったのは,都会の人が冷淡であるからではなく,多くの人が悲鳴を聞いており,それをそれぞれの住民が知っていたからだと考えられる。

つまり,見ている人が多くいればいるほど,傍観者効果が強く働いて,助けようとする人が減ってしまうわけだ。
逆に,キティの事件でも,周囲の家の電気がつかなかったら,あるご近所さんは通報したのかもしれない。

そう,冒頭で,質問として投げかけたが,全体に対する質問は答えるのに勇気がいる。
けれどもし,「あなたはどう思う?」と指さされたら,答えざるを得ない。
それはなぜだろうか。

傍観者効果が生じる原因

—傍観者効果が生じる原因として,多元的無知が考えられる。多元的無知とは,他者が積極的に行動しないことによって,事態は緊急性がないと考えることだ。

キティの事件の場合,「もし深刻な事態であれば,誰かが助けに行っているだろう。」などと考えてしまうことだ。
実際の事件の現場では,おそらくキティの声しか聞こえなかったはずだ。もしかしたら,それを聴いて,「酔っ払いか?」,「恋人同士のけんかか?」と思われたのかもしれない。
第3者が介入する声を聴けば,「あ,やばいことが起こっている。」と部屋を飛び出した人がたくさんいたのだろう。
けど,その結果誰も介入せず,キティは死んでしまった。

もう一つ,責任分散も考えられる。責任分散とは,他者と同調することで責任や非難が分散されることだ。
キティの事件もLatané & Darleyの実験もそうだが,もし見ている人が自分一人だったら,通報する責任は自分一人にある。けれども,もし二人が見ているのなら,どちらかが通報すればよいわけで,そうすると二人とも通報しなかった場合,非難されるのは自分一人だけではなく,二人の責任になる。もし,10人が見ているのなら,10人のうち誰かが通報すればよいから,10人の責任になる。大事なのは,一人が責任を負わなくても良い,ということだ。

この責任分散と,ほぼ同時的に評価懸念もある。評価懸念とは,行動を起こした時,その結果に対して周囲からの評価を恐れることをいう。
もし,キティの事件で,何か行動を起こそうとしたとき,それに失敗してしまったら,自分一人が責められることになるだろう。だったら,責任も分散してしまっている状況なんだから,何もしない方が得策ではないだろうか?

おそらく,ヒトは無意識的に他の人がいる状況では,援助を抑制する傍観者効果が働いているものだと考えられる。

大学生はなぜ手を挙げないのか?

では,冒頭の話に戻ろう。

大学生が,小学生でも知っているような内容で,
「〇〇を知っている人!」
と挙手を求めても,なかなか手を挙げてくれないはなぜか。

これは,ほぼ確実に傍観者効果が働いているものだと考えられる。

まず,全体に対して挙手を求めているので,責任分散は確実に起きている。
さらに,これに手を挙げて,こちらが質問したことに上手く答えられないと,いらない恥をかくことになってしまう。つまり,評価懸念だ。

試しにそういう状況で,「〇〇君,知ってる?」と個人に聴いてみると,ほぼ確実に答えは返ってくるはずだ。

援助を生じさせるために

もし,あなたが何か助けて欲しいことがあったとき,
「誰か助けて!」ではなく,
「そこのあなた!助けて!」と名指しする必要がある。

自動車の教習所で,人命救助の講義を受けたことがある人は,名指しで援助を求めるように習っているはずだ。
それは,責任分散を防ぐためだ。

「誰か助けて!」と言っても,ほとんどの人は助けてくれない。
名指しされるということは,その人だけに責任が負わされることだ。
その結果,「助けない」という選択肢がなくなってしまう。

援助をするために

人は,他者がいると援助行動を起こしにくくなると知って,がっくりきてしまった人もいるかもしれない。

けど,それは無駄ではないと思う。

人間には,傍観者効果という特徴があるんだよ,ということを知っていれば,他者がいる状況でも援助行動を起こしやすくなる可能性がある。
「あ,いまの自分の状況は,傍観者効果が働いているな。」
ととらえることがあれば,勇気を出して,他者を助ける行動に出られるかもしれない。

まとめ

ここでは,傍観者効果について簡単に書いてみた。
実際,傍観者効果については心理学の実験でたくさん行われている。
(通行人が急に倒れたりだとか)

そういう論文なんかを見てみるのもなかなか面白いので,興味があれば見てもらいたい。

重要なのは,「人間には他者がいると助けない傾向がある」ということを知っておくということだと思う。

スポンサーリンク
趣味
単純接触効果

普段の生活で,普段からよく知っている人は印象が良い,ということがある。 当然のことながら,何かを一緒 …

趣味
一生懸命勉強するとこんなにメリットがある

「学ぶことは楽しい」なんて,たくさんの人が言っていることだけど,本当にそうなんだろうか。 「学校で習 …

趣味
社会的促進と社会的手抜き

他者がいると,援助行動が抑制される傍観者効果について説明したが,他者がいるとヒトの行動には様々な変化 …